2001/5/22 (火) 晴
30分遅れて,午前11時に,AF1205便でフランスのパリへ向った.2時間後にパリに到着し,時間はイタリアと同じで,時差がない.パリの上空から見たパリの郊外はとても規則正しい多角形ブロック状の土地に構成され,それぞれ緑と黄色の部分できれいに交差されている.黄色い部分は何なのか疑問に思ったけど.空港を出て,両替しておき,ロワシーバスに乗って,パリの中心地オペラ座までとりあえず行った.バスの中からみたパリ市街は日本とほとんど変わらない.NEC,Panasonicの広告看板や,Esso,Shellなどのガソリンスタンドを通り過ぎた時,特にそう思った.落書きも気になる.言葉が違うが,落書きは西武新宿線が通る新宿東口と西口の間にある橋の柱に書かれたものとはさほど違いがないようだ.ギリシャやイタリアの場合も共通点がある.やはり言葉より,美術の方は国境を越えるものだ(笑).市内に入るまでは普通の建物で日本と変わらないが,市内に入るやいなや,ぐっと建物の風格が変わってきた.ヨーロッパ風の形が目立つ.しかし,ローマの建築とはまだ違う.
予約したホテルはガイドブックには載っていないので,正確な位置がわからない.頼れるのは井上さんからもらった一枚のWeb上からダウンロードしたホテル近傍の簡易地図だけだった.しかし,ガイドブックの地図に当ててみたら,オペラ座からそんなに遠くはないはず.タクシーで行こうと思ってとりあえず運転手さんに道を聞いたら,やはり近くにあると伝えてくれた.その代わりに我々を乗せようとしなかった.やはり近すぎるかも.こうだったら,歩いて探しに行くことにした.パリのすべての道に名称がはっきり貼られているので,とりあえず2本の幹線道路を見つけ,方向を決め,なんなくホテルに辿りついた.チェックインして,その場で3日後帰りのタクシー予約をしておいた.
もちろん,休まずに,ルーヴル美術館に直行.予定は午後4時から8時までの間,美術館のコレクションを見物する予定だったが,よく確認したら,6時に閉館となるので,やむを得ず,予定をキャンセルし,外で写真を撮った.,ルーヴル美術館はとにかく広い.東西約1Km,南北約300mの壮大な敷地を占める.正方形の3面はルーヴル美術館で,もう1面はカルーゼル凱旋門だ.規模はエトワールの凱旋門よりずっと小さいが,豊かな色調と繊細な装飾が特徴的.オペラ座に行く途中に,ヴァンドーム広場があった.中央にはナポレオン1世が1805年のオーステルリッツの戦勝を記念して建てた高さ44mの円柱が立っている.青銅製の柱は敵から奪った大砲を鋳造して造ったと言われている.さらに300mぐらい進むと,オペラ座に着く.総面積1万1000uは劇場として世界最大級.現在はバレエ専門の劇場となっている.これも見事な建築物だ.
ハンドブックによると,地下鉄をよく利用する場合,回数券を買うとお得らしい.地下鉄駅で回数券10枚買っておいた.また,パリにある70軒以上の美術館や博物館への共通カードも購入しておいた.いよいよ,明日からは本番だ.
今回の旅のコレクションとして,各国のユニークな建物の縮小品を集めた.今日,さっそく一軒の店で,フランス風の縮小建築物を買った.形や品質には文句がないが,少し高く感じる(日本円にすると6千800円).
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
2001/5/23 (水) 晴
パリの地下鉄は東京に匹敵できるほど,発達している.というよりは,路上電車が無いので,地下鉄だけで比べてみると,東京よりは多い.しかも,地下鉄同士はみんな連鎖しているので,乗り換えも便利.距離や時間によらず,一回に一枚の乗車券で乗車できる.値段は日本円にすると120円程度でとても安い.ヨーロッパの地下鉄はみんなメトロ(METRO)というようだ.今日は主にメトロを使用していた.
観光地はほとんど9時から始まる.遅いほうは10時まで回るので,時間の都合を考えて,最初にアンヴァリッドへ行った.アンヴァリッドはナポレオン1世の墓所として知られるが,本来は1670年にルイ14世が創設した戦傷兵のための療養所.ナポレオンが埋葬されているドームは30年近い歳月をかけて完成した高さ107mの壮麗重厚な黄金ドームだ.ナポレオンの棺は中央ドームの真下,地下に安置されている.祭壇のうしろにある入口には“余は,余が深く愛したフランス国民に囲まれてセーヌの畔に憩うことを願う”とナポレオンの遺言が刻まれている.ドームの向い側にアレクサンドル3世橋がある.セーヌ河に架かる橋の中のでもっとも華やかな橋で,アーチ型の橋げたや欄干は人や動物や花などの彫刻で1面飾られている.4隅に立つ高さ約20mの柱には黄金のブロンズ像が飾られ,眩しいばかりだ.思わずビデオを撮った.セーヌ河に沿って,歩いて15分ぐらい,エッフェル塔に着く.パリといえばエッフェル塔だと思っている自分にとっては最高の瞬間である.このエッフェル塔はフランス革命100周年を記念して開催された1889年のパリ万国博覧会に,鉄の研究者ギュスターヴ・エッフェルの設計により建てられた.高さは301mは当時としては世界最高.その後,無線通話やラジオ放送で利用され,1957年にはテレビアンテナが設置されて高さも321mへと更新された.今日では,パリの象徴として世界中の人々を魅了している.近くで見てもでっか過ぎて,よく分からないが,適当な距離をおいて見るのが最高.また,塔の真中へんまで登り,パリ全般を見るのも言うことはない.記念に,その場でエッフェル塔の縮小品を買った.バリバリ写真を撮り,次の目的地凱旋門はもちろん視界内にあった.シャルル・ド・ゴール広場の中央に立つ凱旋門はまさに首都パリの顔.高さ50m,幅45mの壮大な白亜の門である.その名の通り,フランス軍の勝利と栄光を讃えるため皇帝ナポレオン1世の命により建造された.1806年に着工して,激動の時代を経て,ようやく1836年に完成したが,しかしすでに15年前に(1821年)にナポレオン1世はセント・ヘレナ島で没し,完成した凱旋門を見ることができなかった.さらに,第1次,第2次世界大戦を経て,現在に至ったこの凱旋門は旅行者にとってはパリの代表的な観光スポットの一つでありながら,まさにフランスの戦いの歴史を刻んだ記念すべき建造物でもある.凱旋門の最上階に上がり,ここから見たパリ市街も素晴らしいものだ.凱旋門をセンターに,12本の通りが放射状に伸び広がっていく.まるで星のような形になっていることから,以前はエトワール(Etoile=星)広場と呼ばれていた.その中の一番有名な道はコンコルド広場まで一直線にのびる全長約2Kmのシャンゼリゼ大通りである.両側にレストラン,カフェをはじめ,高級ブランド店,銀行,旅行会社,高級ホテル,高級住宅などなど,とても賑やかな町である.そこから地下鉄1号線に乗って,今度はシテ島という場所に行った.シテ島には2つの名所があって,一つはサント・シャペル聖堂,もう一つはノートルダム大聖堂である.ところで,ここでまたまた事件発生.電車から降りて,出口から出た時に,後の男のフランス人に大声で止められ,最初は何が起こったか分からなかったが,鞄を見ろっていう感じて聞こえて,うしろの鞄を見てみたら,チャックが開いていた.スリに遭った.20代の男女二人がどうもスリ容疑者でその男の人に厳しく怒鳴られた.その二人の男女はビビッていて,スリをやったに違いないが,実は自分が盗まれないように大事な財布とデジタルカメラをズボンの前のポケットに入れてあったので,鞄には何も入っていなかった.その男の人はどうやら普段着の警察で,10分ぐらい男女を調べて,2人の警官まで来てもらったが,結局証拠になるものが見つからず,男女を行かせた.男の人に感謝して,メトロ駅を出た.出たところで,スリ男女の後ろ姿をビシッと写真に収めた.美しい国には美しくない一角もあった.ところで,ノートルダム大聖堂が立派な建造物だ.800年以上の歴史を持ち,ゴシック様式の外観である.一階は聖堂となり,キリストの彫刻絵や壁絵がたくさん飾られている.最上階に空想的な鳥や奇妙な怪獣に飾られた鐘楼がある.さらに,裏か横から,螺旋状の尖塔が確認できる.1831年に出版されたヴィクトル・ユゴーの著名な小説“ノートルダム・ド・パリ”の大半がこの鐘塔を舞台に繰り広げられるという.頂上からの眺めもなかなかのものだ.
町の中でお巡りさんに出会った.どこでも会えるお巡りさんと思ったら,大間違いだ.スケートブーツを履いて仕事をしているのではないか.これもパリならではの一角だね. メトロで家の近くへ戻り,昨日から狙っていたモロッコ料理屋さんに足を運んだ.羊料理が美味そうで注文してみた.とても満足できる味だった.
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
2001/5/24 (木) 晴
各美術館を見学するのは今日のテーマだ.もちろん最初はルーヴル美術館.ここには30万点ものコレクションを収蔵する世界最大級の美術館であり,展示品の内容は絵画,彫刻,工芸品など幅広く,その歴史も古代から19世紀の中頃までと膨大な長さに及んでいる.ルーヴルはとにかく広い.全部をじっくり見ようと思ったら最低でも3日かかるらしい.我々にはそんな余裕がないので,ホールに入ってまっすぐオーディオガイドコーナーへ行って,日本語の音声ガイドを頼んだ.作品の隅に貼られているナンバーを入力し,音声ガイドを聞ける仕組みになっている.しかし日本語対応の作品は僅かであるため,全部聞けるわけではない.
彫刻や古代遺跡にはあまり興味がないので,絵画を中心に見物をした.フランスとイタリアの画家の作品が最も多く,モナ・リザをはじめとした絵画が数多くある.ここではいちいち紹介しきれないので,別のページで説明することにしよう.朝9時半に美術館に入り,早足で回って見て,結局出るのが午後2時半回ったところだった.
続いて,近くにあるオルセー美術館へ行った.オルセー美術館は1986年12月に会館と歴史は浅いものの,今やその人気はリーヴル美術館と肩を並べるほどだ.展示内容はルーヴルと違って,1848年から1914年までの近代美術約2万点を所蔵している.年代の違いで,作品の風格がかなり違って,印象派の作品が多い.こちらも別のページで紹介しよう.
昼飯は時間の都合で自然に省略された.5時頃,オルセーを出た時,体力もなく,お腹もぺこぺこ.ホテルには遠くないものの,このままでは,歩いて帰れない.店を探したところ,一軒の日本料理(サッポロラーメン)を見つけた.さっそく入ってみたが,日本にあるような店そのもの.店員もほとんど日本人だし,お客さんの大半も日本人だった.スタミナラーメンとタンメンを注文し,味はそこそこ.パリだからか,日本の店のようなサービスが施されていない.お冷やは頼まないと持ってきてくれなかった.
帰りはお土産を買おうと思ったら,ほとんどの店が閉まっていた.こんなリ早く閉まるわけがないと思ったら,今日は「キリスト昇天祭」(Ascension)だったことに気づいた.あっという間にパリでの3日目が終わろうとする.簡単に数えてみると,今回の旅に写真を550枚も撮った.編集するのに時間がかかりそうだ.
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
2001/5/25 (金) 晴
ついに旅行の最終日となった.夜8時の飛行機で日本に戻る.今はフランス国際空港の搭乗待合室に来ている.
午前中,オペラ座の周辺にあるデパートでたくさんお土産を買ってきた.はじめてフランスのデパートに入るが,日本とほとんど変わらないような感じを受ける.外国人には一つの特典がある.フランスの場合,同じ場所で1200FF(22000円ぐらい)の商品を買うと,消費税を返してくれるのだ.パンフレットを見るとフランスの税金は14%もする.ほかのヨーロッパ各国も10%以上.日本の5%の消費税を考えるとまだ低いほうだ.1500FFほどのお土産を買って免税手続きを行った.2人の日本人スタッフがいて日本人専用のコーナーも設けられていた.
泊まっているホテルが親切なサービスがあって,チェックオウトをしても,一時的に荷物を保管してくれる.今朝10時頃チェックオウトし,荷物をホテルに置いたまま,買い物をしていた.4時に空港への迎送タクシーと約束したので,3時半前にホテルに戻った.たくさん買ってきたので,鞄をもう1個買って,荷物がまた増えた.
この12日間,とても楽しい旅だった.いろんな国をまわり,妻の感想を聞いたら,好感度の高い順から,イタリア,フランス,ギリシャ,それからオーストリアだと思っているらしい.オーストリアは中継国だから,評価の対象にならないが,ほかの3ヶ国はそれぞれ自分なりの特徴があって,とても比べる基準がないと私は思う.今いるフランスという国は,文化歴史と生活の豊かさを感じさせられる.旅行者にしても不便一つも感じず,平均水準が高い.おそらく歴史や文化の立場から言えば,ギリシャの方が一つ上だが,経済的にはフランスとイタリアのような先進国に及ばない.しかし,自分から見たギリシャは日進月歩の活力を見せている.私はギリシャが素敵な国だと思う.一方,彼女が最も評価しているイタリアだが,フランスと同じく4日3泊だが,到着が遅く,出発が早かったので,実滞在日は2日だけだったし,観光スポットが多く,さらに雨も降ったりやんだりして,とても疲れていた.イタリアの街の隅から隅まで歴史が潜んでいる.新しい建築物でも,わざと古くするような感じをして,どこが観光地か分からなくなっちゃうことがよくあった.ローマ全体が重い雰囲気に包まれ,圧迫感を受ける.フィレンツェの場合は少し明るく感じていたが,それもローマと比較した結論となる.
今回の海外旅行のメインは観光だが,観光を通じて,いくつか感心したことがあった.特に感じたことを挙げてみれば,2つあった.
1つはやはり何回も言っていた言葉だ.飛行機に乗るたびに言葉が変わってしまう不思議な実感は,他人に言われても感心しないかもしれないが,いざ自分で体験してみて,はじめて心の底から納得する.ふっと8年前に日本に来たときの光景を思い出し,言葉が通じず,相手のことが理解できず,相手も自分のことを理解してもらえない.その頃は孤独だった.今回は別に暮らしに来たわけではないので,そんなに堅苦しいことを考えてもしょうがないが,しかし,言葉の大切さをしみじみ感じさせられた.中国語,日本語が話せても,世界では通用しない.まさに,日本語でいくら素晴らしい論文を発表しても,世界的に認められないが,英語なら,問題が解決できることと同じである(問題ズレ?).より広い範囲の人間に理解してもらうために,日本語にとどまらずに,世界通用語を身につけることがこれからの課題だ.
もう1つは歴史に対する意識だ.今回の旅によって,歴史の面白さを感じた.中学校から,歴史の授業と試験に追われて,ちっとも興味を持てなかった.点数を取るため,朝から晩まで歴史を暗記したことを覚えているが,今になって,全部忘れたどころか,ためになった記憶がほとんどない.おそらく自分の思いをした人が数多くいるであろう.自分が教育反論者ではないが,教育システム(中国であれ,日本であれ)には多くの病がある.学校では,学生に教科書に書かれたものを教えるのはごく基本レベルであって,“夢”を教えるのはもっと大事だとずっと思っている.“何が書かれているか”というよりは,“なぜこう書かれているか”,“だから,なんだ〜”とは私の主張である.歴史のある国だから,魅力があって,旅行者の一人として自分も引かれている.だから,歴史を理解しようとする気持ちになる.とても単純で分かりやすい話ではないか.なぜこんな面白いことは教科書に書かれたらつまらなくなるんだろ.教科書が悪いかな?
11時間の飛行で,ついに日本に帰ってきた.日本時間の5月26日午後2時28分.飛行機を降りた瞬間,日本の清潔さを再び感心した.フランス人は自分の国が一番美しい国だと思っているらしいけれど,清潔の面では,日本には遥かに及ばない.
12日間の旅,与えられたたくさんの感動,驚き,それから喜びはきっと永遠たる思い出になるであろう.さらに,今回の旅を通して,自分の中では,新しい未来への歩み方が見えてきたような気分でたまらない.
それでは,さようならフランス,さようなら12日間の旅.